東野圭吾とは、書いても書いても皆が喜んで読んでくれる作家でした。全106冊書いて、全部売れているんだから凄いとしか言いようがありません。そんな作家が「この作品を超えることが今後の目標」と語った「白鳥とコウモリ」は2021年に刊行され、2022年に文庫化され、映画化されてわたしたちに届いたのが2026年。東野圭吾本人が試写会を自身の目で見届けた最後の作品となりました。

映画を見た後に小説を読んでいて、ふと思ったのです…

「白鳥とコウモリ」は「白夜行」を反転させているのではないだろうか?と。

最初に「白鳥とコウモリ」を手にした時は、被害者の娘と加害者の息子が協力するという設定が抜群に面白いと思ってワクワクしましたが、ちょっと待って、この設定って、「白夜行」の二人にも共通する…「白夜行」はみんなが夢中になった東野圭吾の代表作。この被害者と加害者の子供が協力、いや結束するというモチーフは、他の誰にも思いつけない東野圭吾独自のものであり、この設定には強いこだわりを持っていたのでは?と考え始めました。

この二人の関係は「白夜行」と「白鳥とコウモリ」では真逆になっているのです。

「白夜行」では、毒親という言い方が生ぬるく感じるほど酷い親を持つ二人が結束して、お互いに被害者になり加害者になりながら犯行を重ねていきます。その原因は最初はお互いに想い合う善の気持ちだったのですが、その純度が高過ぎるゆえに善はモンスターのように悪へと形を変え、あまりにも切ない結末へと向かいます。一体どうなるのか夢中で追いかけ、こんなに心が翻弄させられるストーリーはないと思う半面、かなり辛かったです…

一方、「白鳥とコウモリ」の二人は、被害者の娘と加害者の息子の二人なのですが、こちらも手を取り合い、協力して謎を解いていきます。ただし、こちらは「親を信じる心」がモチベーションでありました。お互いに、自分の親は「人を殺すような人ではない」「人に殺されるような恨みをかうような人ではない」という強い信念が困難な謎解きに向かわせます。また、とても一人では無理だったでしょう。「お互いを信じる心」がエンジンとなり、真実への解明へと辿り着きます。この「信じる心」を最後まで貫き通した所にすがすがしさがありました。真実は突き止めない方が良かったのでは?と思ってしまうほど厳しい真実ではありましが、二人の結末には温かい光がありました。

毒親だ、親がちゃだと言われる世の中が続きましたが、そろそろ少し光が欲しいと思っていた所でした。人は善と悪がないまぜになっているのでしょうが、行き場のない所に追い詰められたとしても、善の方に少しだけ心を向ければまだ生きられるんじゃないかと思います。言うは易しでしょうが。「白鳥とコウモリ」では、二人は絶望から反転して明るい光を探そうとしていました。そのことが、温かい読後感と鑑賞後感を届けてくれたんだと思います。

映画では白鳥が今田美桜さんで、コウモリが松村北斗さんだったのでしょうか?小説を読んでみると、美令のりりしい感じが今田さんにぴったりでした。そして、和真役の松村さんの絶妙な演技も素晴らしかったです。なぜなら、この二人の距離感の絶妙さこそが見所だったと思うからです。映画だけの演出かと思いきや、それが小説でもそうなんです!完全に二人の関係に大切に焦点を当てています。しかも、小説の方が美令はぐいぐい行っています。すがすがしい性格ですからね。でも、文章的にはどこでどう好意を持っているか、あまり表現していないんですよね。でも感じる。ここらへんが、東野圭吾さんの凄い所なのかな。たくさんの小説をありがとうございます。