小説

「あのこは貴族」と「対岸の彼女」の2冊から思うこと。

「あのこは貴族」の映画の評判が良かった。フィルマークスでは4.0、映画.comでも3.8と高評価が付き、絶賛と言っていいレビューも多く目にする。男性の受けがいいと感じるのは気のせいだろうか?書き込んであるレビューの一つ一つが長い。興味深い考察をしている人もいるが、賞賛の内容は割と共通している。

個人的には「あのこは貴族」というタイトルがとてもいいんだと思う。原作者の山内マリコさんの小説はどれもそうだ。2018年に映画化された「ここは退屈迎えに来て」もそうだし、「さみしくなったら名前を読んで」とか「パリ行ったったことないの」とか、なんとまあ可愛らしい!タイトルだけでもう読みたい!観たい!と思う作品ばかりだ。

特に本作の場合、もしタイトルが違っていたら、私のぼんやり頭では、素晴らしさの理解が半減したように思う。

だって、門脇麦ちゃん演ずる箱入り娘の華子は、「結婚さえすれば幸せになれる」と信じているっていう設定なのだ。どの映画説明文にもそう書いてあるが、いやいやまさか、ちょっとあなた、3組に1組が離婚すると言われる世の中で、んなわけないでしょ、と即座に思ってしまった…

しかし、麦ちゃんは貴族なのだ。だから、んなわけあったって全然いいのだ。

他にも、アフタヌーンテーで一回5,000円のお茶(ランチ)って貴族なの?とか、「愚行録」でも思ったけどk大学の内部生だからって別にそこまでみんな気にしてないよね、とか。27歳まで5年も化粧品会社で働いていたなら、さすがに周囲のいろんな価値観が見えてくるっしょ?とか。個人的にはすんなり理解できない所も多々あったのだけど。

しかし「あなた貴族に会ったこともないでしょ?」って言われてしまえば、まあ確かに、麦ちゃん(華子)みたいな人って遭遇しないしな。ああいう人どこにいるの?って言うと、やっぱそれは「おとぎの国」だよね…きっと。

麦ちゃんの箱入りっぷりが可愛いくて全然鼻につかないし、観ているうちにだんだん慣れてきたというか、「貴族」という言葉は私にはとても効果的だったらしい。麦ちゃんが醸し出す「おとぎ話」的な雰囲気が凄く良くて、きっと私の中の雑念を鎮めてくれたんだと思う。

というわけで、フィルマークスには書き込んでいないけど、評価4.0で、異議なし!全然なし!それよりも、この映画を観たことで、思いがけない収穫があった。

映画館の帰りに購入した2冊の小説。「あのこは貴族」だけ買って帰るつもりが、ふと見かけた「対岸の彼女」(角田光代著)も一緒に買うことにした。「あのこは貴族」は「対岸の彼女」っていうタイトルでもおかしくない気がして、何かしら通ずるものがあるかもしれないと思ったからだ。

「あのこは貴族」の方は面白くてあっと言う間に読んでしまった。映画もすごく良かったのに、小説の方が良くなってしまったくらいだ。

「対岸の彼女」の方は、角田光代氏の直木賞受賞作(2005年)だった。なぜ今まで読まなかったんだろう?と思ったが、「愛がなんだ」も「紙の月」も「八日目の蝉」も「月と雷」も、同氏の小説は数多く映画化されているが、「対岸の彼女」はwowwowでのドラマ化だった。15年以上前ということもあるが、きっと自分がwowwowに入っていなかったから知らなかったんだろう。なんてことだ。こんないい小説を読んでいなかったとは。

※以下、少々内容に触れますので、ご了承いただける方のみ、お進みください。

「あのこは貴族」と「対岸の彼女」は15年ほどの時間差があるが、取り扱っている「女性の生き方」みたいな部分はあまり変わっていない。

「あのこは貴族」は階層の違いによって。「対岸の彼女」は「結婚するしない、子供がいるいない」の違いによって。両著とも「違い」によって2人がざらっとした気分を味わう場面を描きながらも、結果的に心の繋がりを持つ。そして対岸にあるような2人の人生が、ある一点で交わったことによるストーリーである点が共通している。

そして「あのこは貴族」の映画のとっても素敵なシーン。川向うで笑い転げる希子ちゃん(美紀)と友人の山下リオちゃんの2人に、麦ちゃん(華子)が対岸から手を振るシーンなどは、まさに「対岸の彼女」の最後の2ページに出てくる描写と共通しており、「対岸の彼女」の方が原作なのではないかと思うほどだ。

ただ「あのこは貴族」は2人がいがみ合わない。ここが映画レビューで好感を持たれたポイントの一つだった。階級がからんだ三角関係だなんて、いかにもドロドロしそうだが、そうではなかった。麦ちゃん(華子)が圧倒的にお嬢様だったことから、水原希子ちゃん演ずる美紀には戦闘意欲はハナッからなかったし、幸一郎(高良健吾)とけじめをつける良いチャンスととらえたのだ。希子ちゃんの方が少し大人だった。また人は小さな差ほどいがみ合うわけで、差が大き過ぎれば、嫉妬も沸きにくいのだ。

一方「対岸の彼女」の方はリアルだった。2人とも地方出身で同じ大学出身。だけど主人公の小夜子が子供のいる主婦で、もう片方の葵は独身で起業している。他の登場人物も一生懸命に誰かを見下して生きていたり、あの人はなぜポジティブで強いのか知りたがったり。対岸にある誰かをいろいろに思う心の内が詳しく描写されていた。

でも、描かれているのはドロドロじゃなかった。対岸にある誰かと分かり合えなかったり、愚かしい感情を持ってしまう悲しみや、そして乗り越えられないこともない、という希望などが描かれていた。

内容もさることながら、これはすごい、ほんとうにすごいと思う表現などもあり、ポストイットを貼りながら読んでいたら、沢山貼りすぎてあまり意味がなくなってしまった。

やっぱり小説は読後感だなぁと思う。2冊とも、なんとなく自分が前に進めそうな感じがする読後感が良かった。読むほどに対岸の誰かを羨んだり妬んだりする気持ちが薄くなっていくような気がした。濃くなりそうになったら、また読んでみたい。

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