2時間20分の上映時間の中で、一体どこで心のボタンが押されるか?
「ナラタージュ」は、観る人によって、それが相当まちまちな映画だろうと思う。予告のキャッチフレーズによると「あなたはいちばん好きだった人を思い出す」だそうだが、
特に思い出す人がいなかったり、恋愛に興味の薄い人もいるわけで。しかし、雨の日に鑑賞するにはぴったりの、抒情的な空気感を持つこの映画は、
どんな人からも、心の奥にしまっておいた何かを引き出してしまうだろう。舞台は、車のナンバープレートから富山とわかる。昔を思い出すような少し懐かしい雰囲気の中で、すべてがゆっくりと流れ、ストーリーのほとんどはヒロインの工藤泉(有村架純)の回想となる。題材はごくごく平凡でありながら、その回想が時系列でなく交錯する形で進むことで、観客は想像をかきたてられる。台詞と台詞の間にほんの少しの余白があり、感情の説明が省かれている。アップにされた表情や細やかな映像から観客の想像に大きく任され、それがこの映画の醍醐味とも言えるかもしれない。この映画には、3つの三角関係が存在する。もともとは、高校教員の葉山先生(松本潤)と奥さん(市川実日子)、葉山先生のお母さんの三角関係である。ここだけは恋愛ではなく、嫁姑問題。結果として、葉山先生は、妻と母の両方と心理的つながりが断たれた状態で、東京から富山の高校へと異動する。そこで出会った教え子の工藤泉もまた学校内の誰ともつながりがない状態で存在していた。世界をさまよっている心同士がここで結びついてしまう。ここで第二の三角関係、不倫が発生。さらに連鎖して起こったのが、葉山先生と工藤泉に小野怜二(坂口健太郎)を加えた第三の三角関係である。好青年であった小野くんが、狂気に満ちていく。恋のおそろしさを坂口健太郎が見事に描いているが、私が震え上がったのは、その狂気ぶりではない。小野くんは工藤泉が無意識に敷いた恋の網に引っかかったに過ぎない。おそろしいのは、工藤泉の方である。葉山先生と工藤泉の関係は、もう少し複雑だが、その一途な魂の中に狡猾さが内在している点で、二人は似ている。そのことに工藤泉本人はおそらく気がついておらず、葉山先生は気が付いている。「ナラタージュ」によると、三角関係や不倫など、不適切な結びつきが起こってしまうのは、世界に誰一人としてつながっている人がいない時である。そうして出来上がった三角関係の中で結びついている確信が持てなくなった心は、無意識に安全のセイフティネット=恋の網を張って、新たな三角関係を形成してしまう。つまり、三角関係は連鎖する。いや、連鎖するか、坂口健太郎のように狂うか、どちらかと言ったほうがいいのかもしれない。「この恋愛小説がすごい」のNO.1に輝いた同名小説が原作となっているが、なるほどNO.1と呼ばれるに値すると感心したのは、この映画が三角関係の最も残酷な瞬間をしっかりと描いている点である。

最も残酷な瞬間、それは「どちらかを選ぶか」をはっきりとその中の一人が告げた時だと思う。

その場面は、第二の三角関係と第三の三角関係でそれぞれ告げられていたので、観客は2回見せられることになる。一回目は土下座のシーンで、2回目は海沿いで葉山先生が「東京に帰るよ」と告げるシーンだった。

2回とも工藤泉は泣きじゃくっていたので、相手の表情を見ていないようだった。

そう、相手のことなんて、何も見ていない。

工藤泉は見ていないだろう、その表情が、スクリーンでアップにされ、観客にはよく見える。

ずっと観客を惹きつけ続けた有村架純も素晴らしかったが、
私の心に突き刺さったのは、海辺の風に吹かれて隠れていた眉毛を見せた松本潤が「東京に帰るよ」と言った瞬間の表情だった。

どんなにダサい恰好をさせられていても、さすが松本潤だなと思われる美しい顔にほんのりと浮かんでいたのは「希望」だった。

もう一人の誰かを選ぶ、と告げられた時。そして、もう一人の誰かとの関係に、相手が希望と喜びを持っていることがわかった時。私なら、ここが、この恋の終りだと受け取るだろう。

しかし、映画では、そうではなかった。
工藤泉なら、例え葉山先生の「希望」が浮かんだ表情を見ても、まだ終わりとはしなかったのだろうか。

その人の恋愛経験によって、その人の心の内側によって、全く違う感想を持つ「ナラタージュ」の面白さ。

この映画をどうとらえるかは、まるで心理テストのようだ。
自分でも忘れていた心の内側を見事にあぶりだされてしまった。

映画の冒頭とラストで、最も大切なことをしっかりと描いている構成にも好印象を持った。

登場人物は、自分の弱さや狡さに気が付いていないかのように、美しく輝いている。
映像が美しければ美しいほど、人間の美しくない内面の一部が見えた時、その恐ろしさが心に残る。
美しさの中で美しくないものを表現している点が、「ナラタージュ」に文学的な匂いを感じさせる所以だと思う。