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「真夜中の5分前」感想と考察vol.1  時計=リョウの心。喪失感はどう表現されたのか?

これは、原作から言うと<僕>=リョウの物語である。本多孝好の同名小説は、読み始めてしばらくすると、ん?んんん?村上春樹?と思わされる。文体や比喩だけではない。村上春樹の初期3部作の<僕>を思い出す。もっと言うと、亡くなった恋人、双子などの共通点も多い。

途中でこれは一体どうしたものか?と思い検索してみると、本多氏は村上春樹を夢中になって読んだ時期があると公言しており、時に春樹チルドレンの優等生と言われたほどだ。

最後まで読んでみると、優等生なんてもんじゃなくて、スーパーエリートであった…。もちろん影響を受けている部分と全く似ていない部分がある。しかし、何が素晴らしいかと言って、小説の最後に、<僕>が喪失感を抱えながらも、どう前に進むのか?が、具体的に書かれていたことだ。自分的には、思わずグッジョブ!と膝を叩きたくなる内容であった。これは、自分が読む限り、春樹作品では見かけない。

sideA、sideBの2冊からなる同名小説では、主人公の<僕>の一人称ですべてが語られ、映画での<僕>は三浦春馬演ずる<リョウ>として存在する。

職業・キャラクター等は大きく変更されているが、<喪失感>を抱えている点ではイコールだ。この<喪失感>は、遡れば春樹作品の<僕>にも通じると言って過言ではない。

「真夜中の5分前」ではABの2冊をかけて喪失から再生までを描く。春樹作品に至っては、初期作品3冊ではたどり着かず、再生が描かれるのは「ダンス・ダンス・ダンス」になってからである。(やれやれ)

それを、映画では2時間で描く。作家たちが膨大な文字数を費やして表現してきた<喪失感>なるものを、春馬くんがどう演じたのか?とても興味深い。

時計=リョウの心。

主人公の<僕>=リョウは、上海の時計店で修理工として働いている。この設定は映画独自のものだ。(小説の<僕>は広告会社で働いている)

この設定もまた、春樹作品の「時計の比喩」を思い出させる。割と有名なのかもしれないが、「風の歌を聴け」の山羊さんの時計である。

「ねえ、山羊さん、なぜ君は動きもしない時計をいつもぶら下げているの?重そうだし」と友達の兎が聞くと、山羊さんは、「慣れちゃったんだ。時計が重いのにも、動かないのにもね」と言う。

山羊さんはリョウ。時計はリョウの心だ。リョウの時計は壊れてはいないが、いつも5分遅れている。もうすっかり習慣になって、直す気はさらさらない。住み込みの時計店の2階は、人とは5分だけズレた世界なのだ。

上海の時計店で修理工として働き、店主のおじいさんとほぼ2人で過ごしている。精密な部品と向き合い、家族や友人も近くにはいないようだ。5分先の住人とは馴染まない。いつも5分だけ、そう、きっちりと狂っている。

この設定自体が、既にリョウの喪失感を表現している。私には、時計店が、リョウが「ここではないどこか」を求めてたどり着いた、逃れの場所にも思えた。外の世界とは違う飴色の優しい光、何故だかゆっくり感じる時計の音…。

物語の途中まで、リョウの事情は一切明かされない。亡くなった恋人に習って、時計を5分遅れさせるのが分かるのも、だいぶ後になる。けど、ルオランに会う前のリョウは、「何が楽しくて生きているのか?」ちょっと不思議な感じがする。何か特別な夢があって上海に来たとも思えないし、ほんの少しの楽しみさえあるのか?ないのか?

ちなみに、山羊さんのお話では、最後に正確な時計をプレゼントされる。これもまた映画のラストシーンのリョウと通ずる。この映画を「リョウの5分遅れの時計を、5分戻すまでの物語」と捉えると、「山羊さんのお話」は、映画の屋台骨にかなり近い気がする。

自分は、初見では気が付けなかったが、2度目には時計を「リョウの心」の比喩と捉えて鑑賞してみた。特に婚約祝いの置時計とルオランにプレゼントした腕時計は、リョウそのもの。そう考えると、1シーン1シーンがいかに凝っているかに本当に驚かされ、きっと忘れられない映画になると思った。

深すぎる傷と喪失感。

感じていたら生きられないから、感じないように生きている。

亡くなった恋人が、時計を5分間遅らせていたのは、人より5分間得するためだ。亡くなったのは「だから、罰が当たったんだ。僕だけ置いて行かれた」とリョウは言う。そう思いつつ彼女が亡くなった後もずっと5分遅れの時計を使っているなんて、自分にも罰が当たればいいと思っている?まさか。重い内容をふわっと軽く言われると、ドキッとしてしまう。

春馬くんが表現したのは、自分では気が付いていない喪失感だ。ルオランに「忘れられないの?」と聞かれても、「どうかなぁ?」なんて軽い感じで答えている。しかも、亡くなった恋人の話を笑いながら話している。笑いながら所々に切なさが滲むから、泣いたりわめいたりするより痛みが伝わる。聞いているルオランはその深刻さを察知して、恐ろしい緊迫感を見せる。リョウの笑顔とルオランの緊迫感。そして同席した店主が淡々と朝食を食べる様子。それらの対比から、リョウの失ったものの大きさと深刻さが伝わってくる。

恋人が生きている間は、確かに「世界に追いつける5分間」を共に楽しんでいたのかもしれない。でも亡くなった後も、頑なに5分遅れの時計を直そうとしないのは、結構重症だ。日本から上海に来たのも、彼女がいた環境では、彼女がいないことが強調されるからではないか?全く違う環境で、彼女がいた時と同じように、彼女と同じ5分前の時間を楽しむ習慣を続けるのは、彼女がいない痛みを緩和するためではないだろうか?

時計修理の仕事が終わると、小さなバイクに乗ってプールに行く。リョウが淡々とすればするほど喪失感が漂う表現が、なんとなく小説と通ずると思った。

ルオランと出会った夜、時計=リョウの心が鳴り始めた。

果たしてルオランは、リョウの再生のスイッチを入れることができるだろうか?

出会ったのはプールだった。プールサイドでルオランを見るリョウの瞳は驚くほど澄んでいて、胸の奥には、何か、みかんの房のような空虚なスペースがあるように感じた。ルオランが出会ったばかりのリョウに「買い物につきあってください」と頼むことができたのは、なんとなく房の一つに入れてもらえそうな気がしたからだと思った。

特筆すべきは、プールの長椅子でルオランにいきなり声をかけられて、「えっ?」と言ったリョウの瞳。本当にルオランを吸い込んでしまうのかと思ったほど、すごい吸引力であった…。

買い物は、ルオランの双子の妹、ルーメイの婚約プレゼントだった。さんざん探し回ったものの見つからず、結局リョウは、ルオランを時計店に連れてきて、自分が直したアンティークの置時計はどうか?と言って見せる。

夜更けの誰もいない時計店で、ルオランに時計の説明をするリョウは、初めて生き生きした顔を見せる。時計はリョウそのものだ。

リョウが閉店後の時計店の扉を開けてルオランを招き入れた時。

しまっていた置時計を出してねじを巻いて動かした時。

その全部が感慨深い。

しまっていた時計が動いた。異国で心を閉じていたリョウが、ルオランに心を開いていく過程のように思えたからだ。

プレゼントを時計にすることが決まって、ルオランを送っていく帰り道。別れ際に紙袋の手提げの中の時計が鳴る。ルオランと出会って、山羊さん(リョウ)の心が鳴ったんだな…。

そう思うと、ルオランが鳴り始めた時計を、紙袋から出して耳元で聴くシーンや、タクシーのドアを閉める時の「バイバイ」「またプールで」って言うセリフ…なんとまあ、心温まることか。

異国の片隅にたたずむ、リョウの存在感。

その後しばらくして、ルオランから時計店に電話がかかってくる。店主から取り次がれる様子から、きっと誰かからリョウに電話がかかってくるなんて初めてなんじゃないかと思った。

おそらくは、上海に来て初めて誘われたダブルデート?なのか、どこかへ出かけるらしいのだが、リョウが時計店のドアの横にちょこんと座っているシーンがある。画面いっぱいに時計店が映され、リョウの姿はとても小さい。どんな顔かもわからないくらい小さい。その後すぐに、ルーメイの婚約者が運転する車が店の前まで迎えにくるから、リョウがドアの前に座っているシーンは一瞬なのだが、自分的にはリョウの存在をとても強く感じる。

いつか、どこかで、こんな絵を見たような気がするほど、とても絵画的だ。恋人が亡くなって、少しだけ人とズレた世界で生きるリョウが、世界とつながっているたった一つの場所。異国の片隅に座り込んで、まさに今、誰かが迎えに来るのを待っている。小さく映った、たった一瞬なのに、確かに存在していたんだ、と感じたのは、このシーンまでにリョウの日常を丁寧に見せられてきたからだ。リョウの引き込まれるような魅力や存在感が、既に自分の心の中に入り込んでいたことを知る。

5分先の住人が迎えに来て…。

迎えに来た車にはルオランと、ルーメイと婚約者の3人。リョウは5分先の住人3人に連れられて、どこかへ車を走らせるのだった。おずおずとした様子で3人と会話するリョウ。映画プロデューサーのルーメイの婚約者に「好きな映画は?」と聞かれて、「となりのトトロ」と答える場面だ。

「時計を作っているんだって?」と聞かれて、「いや修理だけ。作れたらいいんだけど」と答えるリョウ。「時計」を「リョウ」に変換してみたら、軽い自己紹介だと思った会話にも意味がこめられていることを知って驚いた。実際、後にリョウはルオランのために腕時計(5分遅れ)を作ってプレゼントしている。リョウが新しい自分になる日は来るんだろうか?

別荘に着いてからの4人で過ごすシーンが、絶妙だった。とても重要な登場人物の感情、小説ではかなり詳しく書かれていた感情を、リョウとルオランと、ルーメイと婚約者の4人の表情だけで表現するなんて凄い挑戦だ。ここはアイデンティティについても考えさせられ、表現されているシーンでもあるので、次のvol.2「アイデンティティとは何か?」で詳しく考えてみたい。

では、今日はこの辺で、おやすみなさい。

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