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「森の学校」小さいけどちゃんと三浦春馬だった。一回は観てから親になりたい映画。

そもそも「ラストシンデレラ」のヒロトとか、「ツーウィークス」の結城大地とか、ああいう現実離れした、とんでもないイケメンて、一体どこから出てきたんだ?…と思っていて。

漫画から紙面をべりべり破って抜け出てきたわけでもないだろうし、幼少期が確認できれば、少しは実在感が得られるかな?という気がしていました…身近に全くイケメンがいないからと言って、まさか三浦春馬って、わたしのさみしい心が作った幻影とかじゃないよね…

「森の学校」と「天外者」は、三浦春馬の最初と最後の主演映画。

本日ついに希望がかなって「森の学校」観てきました。観た場所はドラマ「僕のいた時間」でも、その風景をよく見かける東京都・吉祥寺。ゆかりのある場所だからというわけでもなさそうですが、「森の学校」と「天外者」のポスターが並んで貼ってあり、同時上映していました。三浦春馬の最初と最後の主演映画が同時上映されるとは…感無量。

「森の学校」はなんと文部科学省特別選定・厚生労働省、環境省推薦の映画。また「天外者」は、五代友厚の歴史的誤伝を払拭するべく描かれたとも言うべき映画。どちらも、どうしても伝えたいことがある。どうしても作りたい。という作り手の心が伝わってくる点で、近しいものを感じます。

思い切って言うと、「森の学校」と「天外者」は、春馬くんのまっすぐで繊細な演じ方が似ていると思いました。

※以下、大きくはネタバレしませんが、少しだけ内容に触れていきます。ご了承いただける方のみ、または鑑賞後に読んでいただけましたら幸いです。

「森の学校」は、やわらかい心を取り戻せる映画だった。

主演のマトは小学5年生。(春馬くん12歳の時)

マトは、どうも病気らしいんですよね…。だから、一か月も二か月も学校行けないことはざらにある。だけど、この上なくやんちゃで、虫や動物を追いかけては熱を出す。「なんで僕だけ病気になるのかな」というマトの問いに、お母さんが「あんたが時々病気にでもならんと、トンボもゆっくり飛んでられへん」と答えたくらいです。病気ながらも、はじけるように野山を駆け回って、やんちゃ全開の春馬くんを映画館の大きい画面で見られたことは、とても嬉しいことでした。

この坊主の男の子が大人になって、あんなに華やかな蝶になったわけか…しみじみとした気持ちになりましたが、どう見ても顔は三浦春馬ですし、眉の形は全く同じですね。生まれた時からこの形なのでしょうか。瞳の感じもそのままですが、意外にも、口もとのふとした表情に「おお!三浦春馬じゃん!」と面影を探すことができました。

小学5年生と言えば反抗期が始まったり、親も勉強の心配をし始めたり、難しい時期ですよね。限られた視野に閉じ込められて、大切なことが見えなくなる場合もあるんじゃないかと思うんです。

「森の学校」は、そんな時こそ観たい映画だと思いました。昭和10年頃のお話ですから、85年ほど前になるでしょうか。このノスタルジックな世界は、きっと私たちの遺伝子組み込まれているんだろうと思うくらい、心地いい。

目にする映画紹介文などでは「命の大切さ」と書かれていましたが、個人的にはどちらかと言うと、「命ってどんなものか」ってことを子供にもわかるように伝えていると思います。

はて、ところで命ってどんなものでしたっけ?コンクリートに囲まれて生きていると、大切なことを忘れていることがあります。思い出してみると、当たり前のことのはずなのに、なぜか完全に忘れている。それは誰かに言われて思い出せることでもなくて。疑似体験ではあるけれど、スクリーンから伝わってくる空気感が、大切なことを思い出させてくれました。

今日は、観に来れて良かった。凝り固まった拘りや「ねばならない」が、本当にそうなのか?問いかけるやわらかい心を少しだけもらって、映画館を出ることができました。

「森の学校」は、一回は観てから親になりたい映画だった。

親になるにも、子になるにも、何も資格はいらないはずだけど、文部科学省におすすめされてもされなくても、一回は観てから親になりたい。子供の皆さんにも、もれなく観て欲しい。そう思いました。鑑賞後にパンフレットを読んでみると、やっぱりか!?と思う監督の言葉がありました。

『不幸な少年の事件が起こるたびに「なぜ?なぜ?なぜ?」と思っていた。こんな時に「少年動物誌」(映画の原作/著者 河合雅雄)と出会った。「これだ!少年の原点や家族の原点は」「6人の男の子を立派に育てたお母さん、お父さんはどんな人だろう」ここから名著への挑戦が始まった。(映画「森の学校」パンフレットより抜粋。西垣吉春監督のメッセージより)

親になるための教科書があるわけでもないし、自分の親があまり参考にならない時もあるし。親としてどうふるまったらいいか?わからなくなった時は、きっと参考になると思いました。ただし、時は流れて、2000年には児童虐待防止法もできましたから、ビンタはなしで!(教育上でも暴力は×。懲罰は〇)

偶然にも同じシチューションがある「森の学校」と「天外者」。

この2つの映画には、ほとんど同じシチュエーションが1つあります。「森の学校」ではおばあさんが亡くなった時。「天外者」ではお母さんが亡くなった時。どちらの映画でも、春馬くんは枕元で涙するシーンを演じています。座る位置さえ同じように見えます。「天外者」を観た時は、このシーンで思い切り感情移入しただけに記憶は強く残っており、「森の学校」で小さな春馬くんが亡くなったおばあさんの枕元にひさまずいた時には、思わず「同じシチュエーション?!」と息を止めました。春馬くんが演ずる登場人物の心情は、どちらも複雑でしたが、「森の学校」のマトは小学校5年生ですから、一体どういう演技になるのだろう?と思い、このシーンを見守っていました……すごいな、大人の春馬くんに負けていないな。ここまででもう満点だなと思った瞬間、小さな春馬くんは思いがけず少し顔を上げて、がらりと表情を変えたのです。

演技指導も優れているのだと思いますが、子役と言っても、主演ともなるとずいぶん難しい演技をするもんだな、というの正直な感想です。すでに三浦春馬です。

小さい頃から、春馬くんが熱心に研究していたカッコ良さとは。

他にも細かい所にまで心を砕いている繊細な表情が多くみられましたが、個人的観察によると「君に届け」をはじめ、いろんな作品でこなしてきた「イケメンでなければならない」「カッコよくなくてはならない」役の演技は、すでにこの頃から熱心に研究されていたものと思われます。

「森の学校」では、都会から女の子が転校してきて、やんちゃな男子達や田舎の友達と馴染んでいく様子が描かれます。その女の子とマトが森の中をぶらぶらと二人で歩きながら、マトが夢を語るシーンがあります。その時!いがぐり坊主でちゃんちゃんこ?のようなチョッキを着ているにも関わらず、やけにカッコイイ歩き方をしているではありませんか。

この歩き方、見たことある!と思ったら、こないだ(と言ってもずいぶん前)、ドラマ「ツーリスト」のレビューを書こうとして、春馬くんの何をどうしたらカッコイイのか観察していたところ、、、この歩き方してた!絶対!

何か月も前に観たドラマでの歩き方をなぜ覚えているかというと、それが後ろ姿なのにカッコ良かったからです。顔に頼っていない‼このカッコイイ歩き方は、12歳の時には、すでに習得していたのです。

しかも!その少し揺れるようなカッコイイ歩き方をする時は、恋心を持とうか持つまいか?迷っているような、その手前のような、ビミョーな感情が含まれていると感じます。「ツーリスト」では、水川あさみを部屋の前まで送ってくるシーンだったのですが、春馬くんのゆらゆらと歩く、その後ろ姿だけで「絶対帰る気ないな」と直感しました。

「森の学校」では、小5とは言え、女の子に夢を語る時点で、何かしら淡い心が生まれつつあるわけで、そこを揺れるような独特な歩き方で表現しているのです。

まあ、芸が細かい細かい。

最後に。

映画レビューと言っても、三浦春馬さんの観察に熱が入ってしまいました。小さくても、いっぱしに三浦春馬なのですから、なんだか可愛くて。ただ、思った以上に値打ちのある映画だったことは本当です。また何か観たいと思います。

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