「銀河の一票」感想。人間を壊れたおもちゃの電球に例えた、選挙ファンタジー。
先人たちが選挙権獲得のために闘った歴史は、散々聞いているはずなのに、選挙にあまり興味を持てない罪悪感…。
候補者が選挙の時だけ人の存在を大切にする感じが特に嫌。誰に投票したらいいかが分からない自分も嫌。そんな思いが、このドラマをなんとなく見続けさせていた。
政界から追い出された星野茉莉(黒木瞳)がスナックのママの月岡あかり(野呂佳代)を市長選に担ぎ出す、という漫画チックな設定だが、4話か5話あたりまで来た時、ふと気が付いた。初回から強調されていた「壊れたおもちゃの電球」とは、茉莉(黒木華)だけを例えているのではない。月岡あかりやスナックの常連さん、その他の登場人物ぜんぶ、いや、人間全員が「壊れたおもちゃの電球」として描かれているのだ、と。
気が付くの遅い?正直言ってリアルタイムで観ていると、テレビの前にずっと座っていることはできないから、じっくり配信で観るべきドラマなのかもしれない。
例えば、壊れたおもちゃの電球なら光るはずはないのに、あかりが茉莉に「でも、光っていたよ」と言う場面。壊れていても光っているよって、その電球が茉莉という人間を例えているなら、すごく大事なことを言っていたんだろうけど、ちょっと即座には分からなかった。
ようやく深いドラマらしいと気が付いてから、ティーバーで1話だけ観て見ると、きっちり過ぎるほど状況説明されていた。
(以下、少々ネタバレ)
特にスナックの常連さんの言葉がすべてを物語っていた。
「そういうのは、えらい人に任せておくしかないだろ。俺たちは、ほら、自分の目の前の生活で精いっぱいだから」
「児童なんとか手当とか、私にはあんまりよく分からないし」
「フリーランスだから、そういうの、関係ない」
政治には関心がなく夜な夜なスナックで飲んでいるように見える常連さん達だが、元イベント会社経営、ウェブデザイナー等々、実は貴重なスキルのある人ばかりなのだった。みんなコロナで会社が上手く行かなくなったり、フリーだから不安定だったり…と必ずしも電球の光は最大ではないかもしれないが…(逆に人生ずーっと最大限に光っている人っている?)
登場人物ひとりひとりが、選挙には縁もゆかりもなかった「月岡あかり候補者」の選挙活動をまさに手作りし支えていく過程を見るのは、実に爽快であった。
何が爽快かと言って、月岡あかり陣営を手伝うと、みんな壊れていた電球が治ったかのように、本来の力を生き生きと発揮するのだ。これを幸いと言わずして何を幸いと言うのか…。
このドラマは宮沢賢治の作品をモチーフにしている。「銀河鉄道の夜」ではジョバンニとカムパネルラが「本当の幸いとはなんだろう?」「僕にはわからない」という会話をするが、これがドラマ劇中でも引用される。これが本当の幸いでしょ、と、はっきり思うことができる場面を見られるのは、これまた幸いであった。
最終回は予想以上に素晴らしく、言いたいことが明確に詰め込まれていた。休んでもいい(かわりばんこに)、中卒でもいい(逆にそれを活かせばいい)、生きる理由がなくてもいい(他の人のために生きるのでもいい)。そして、銀河があんなにも美しいのは、ひとつひとつの星が美しいから。ひとりひとりが光ることの美しさをスマホの光で表現したクライマックスがとても感動的だった。
自分の電球が壊れることがあってもあまり気にする必要がない世界だといい。ましてやスマホの充電切れはしょっちゅう起こる。誰にでもあることだ。
何度も劇中で聞いた「困っていることはありませんか?」という言葉。裕福な人にも生活困窮者にも、子供のいる人にもいない人にも、こんな風に聞いてくれる政治家がいたらいい。
政治家だけで考えていてもにっちもさっちも行かないことはとっくの昔に分かっているはずだし、何年も前から「誰一人として取り残すことのない、持続可能な社会に」ってずっと言ってはいるけど、困っている当事者に聞いてはいないのかもね…現実の世界では。
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